姫路市 ピアノ教室 講師紹介

幼少の頃 

川崎生まれ

二人姉妹の長女

父は会社員、母は書道家

教育熱心な家庭。

3才の時近所のお姉さんのピアノに憧れて、習い始める。

物心ついた時から、絶対音感があった。

幼稚園のお遊戯会で周りの子が、音が外れて歌うのが不思議だった。

内気で、手のかからない子だった。

 

小学生 

2年生の時転校し、内気を直そうと、元気な子デビューする。

友達もそれからはたくさんできた。

ピアノもどんどん上達する。

楽しかった。

それをみて母が何気に、

「うちの子ピアノ頑張っているんだけれど」

と友達に言ったのが不幸の始まりだった。 

 

音楽苦(おんがく?)

趣味で習っていたピアノだったが、5年生の時芸大の助教授の先生に見ていただくことになった。

はじめは母は全然知らなかったと思うが、その先生はプロを育てるというので有名な先生だった。

先生は私は音高に進むものと思っていたらしい。

小さなミスでも、先生は厳しく怒った。

子供だったこともあり、表情を変えると

「そんな暗い表情でピアノ弾いてはいけません」

と言われた。

無理して表情を作り、作り笑顔をすると

「何がおかしいの?」

と言われ、悲しくなった。

ただ一つ、先生に褒められたことが・・・

「集中力だけはあるわね。」

先生に褒められたのはこのひとつだけだった 。

 

過密スケジュール

2年弱、電車を乗り継いで、1時間かけて、週2回お弟子先生、月1回大先生、週1回作曲家の先生にソルフェージュレッスンという、過密スケジュールは続いた。

1日4、5時間練習のピアノ漬けの日々。

30分2万円・・・相当親がお金をかけてくれていたこともあり、なかなか辞めると言い出せなかった 。

 

中学生 

中学では、球技禁止、旅行も練習できなくなるからダメと制約が多く、勉強<ピアノの生活に疲れ始める。

見かねた母が最後は自分で決めなさいと言ってくれた 。

私はその先生のもとを去ることを決めた 。

中2の夏。

近くの地元の先生に教室を変えた。

中3の時、父の転勤が決まった。

川崎から仙台へ。

 

音楽(おんがく)

仙台に越してからは芸大の楽理の先生にピアノを習う 。

今度の先生は基礎基礎とは言わず、 みんなが習いたがるような曲をさせてくれたし、決して怒らなかった 。

音楽って楽しい、ピアノって楽しいとまた思えるようになった 。

 

音楽の道、再び

宮城県第一女子高校でも大好きなピアノは趣味で続けていた。

当時私は教師になりたくて志望もそのように出していた。

ところがそのことをピアノの先生に言うと

「え?音大にはいかないの?」

と言われ本気で悩む。

 

やっぱり私ピアノ好き

高3から、方向転換。

音大受験のために新幹線で、東京までレッスンに通う。

片道2時間以上・・・

ところがやはり準備不足と言うこともあって第一志望のピアノ科に落ちてしまう 。

 

国立音楽大学教育音楽科に入学、転科

1年の終わりに倍率18倍の転科試験に合格し、ピアノ科に。

器楽や、声楽の伴奏をいくつも掛け持ちし、魅力に取りつかれ、声楽門下専属の伴奏者として4年の夏、イタリアにてサマースクールに参加。

ジャンニ・ライモンディ、ガブリエラ・トゥッチクラスで、オペラ伴奏を学ぶ。

中学、高校の音楽教員免許取得。

 

生徒100人

卒業後は仙台にもどり、ヤマハシステム講師として、幼児からシルバーまで最高で100人近い生徒を持つ。

その傍ら、東京にレッスンに通い、ソロコンサートや、声楽家とジョイントコンサート、小学校や、福祉施設などへ出前コンサートなど、舞台演奏に力を入れる。

 

 

結婚で関西に引っ越す

関西ははじめ尼崎市に。

子育てをしながら、ママさんコーラスの指導、0歳児お母さんのためのコンサート、未就学児のためのコンサート等開催。

 

その後揖保郡太子町でピアノ教室を開く。

そして、やっと腰を据えて活動できる姫路市に新居を構える 。

念願のレッスン室を構える。

自分の経験からも厳しいばかりが効果のあるレッスンではない 。

やさしいレッスンでもしっかり生徒さん達が弾けるようになることを目指していく 。

コンクール指導なども積極的に取り入れるが、スタンスの優しいレッスンに加え、粘り強く生徒さんと関わることで成果を上げている 。

 

 

子育て 

二人の子供に恵まれる。

息子は赤ちゃんの頃、寝ない、飲まない、夜泣きの激しい子で、ひどい時は15分おきに夜泣きをして、私も涙、本当に大変だった。

明るくうるさい子だったので、武道に落ち着きや集中力への期待を込めて、5歳から剣道を習いはじめる。

性に合ったのか中学、高校も続け、医学生になった今でも剣道部。

バンドもかけもちし、ドラム、キーボード、ボーカルと楽しい学生生活を送っている。

 

娘は、生まれた時から声が大きくて病院でも話題に。

よく飲み、よく寝る、レッスン中ピアノの下に転がしておいても気がつくと寝ていた、手のかからない子だった。

子守唄は、生徒さんのピアノの音。

自分が譜読みをする時はすでにほとんどの曲を耳で覚えていて、すぐ弾ける器用な子だった。

小学生のうちはコンクールにも出場。

中学受験の2週間前でも発表会に出たが、

今はピアノより歌が好きで、鑑賞、歌唱の音楽三昧。最近はオンラインレッスンのできる

歌の教室を探している。